契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは 藤原元輔
いつも約束してたよね。君もわたしも涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を波が越えるようなことはしないよと。
この歌が詠んでいるのは、どんな状況でしょう。「末の松山を波が越えるようなこと」とは、一体なんでしょう。それを明らかにするキーワードが「末の松山」です。和歌世界の連想ゲームのようなものです。
わが国最初の勅撰和歌集である古今集には、東歌(あづまうた)というくくりで、京都より東にある国々で古くから歌われていた歌で、かつ都の貴族たちが好んで口にしていた歌が、十三首ほど採られています。その中に次のような一首があります。
君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山波もこえなむ(古今集・みちのくうた)
あなたがいるのに、あなたを捨ててほかの誰かを好きになることが、もしもあるなら、末の松山をきっと波が越えるでしょう。
あの高台に生えている「末の松山」を波が越えることが絶対にないように、わたしがあなた以外の人を好きになることなど絶対にないよと、きっぱりと言い切っています。 たとえを現代風に言い換えると、東京タワーが全部水に漬かることが絶対にないように、あなた以外の人を好きになることなど絶対にないよ、という感じでしょうか。
和歌世界の恋歌部門でいう「末の松山を波が越えるようなこと」とは、恋愛関係にあった人が心変わりすることなのです。
そして、百人一首の元輔の歌、
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは
残念なことに、相手は心変わりしちゃったようですね。いつまでも一緒だよと、感極まって涙を流しながら約束したというのに。「しぼりつつ」の「つつ」は反復を意味する助詞です。泣いて、泣いて、「絶対、心変わりしません」「絶対、心変わりしません」と何度も繰り返していたのに。あぁ。
さて、筆者が大学院生のころ、仙台で和歌文学会の全国大会があり、その関連行事で、みちのくの歌枕をめぐるツアーに参加しました。「末の松山」にも行きましたが、まわりは住宅地で、説明板がなければわからないようなところに、何代目かの「末の松」が生えていました。それから長い月日が経ち、松も生長し周囲も整備されました。2011年3月東日本大震災で東北に大変な被害が出ましたが、地震からしばらくたったころ、新聞などに「末の松山」の記事がいくつか出ました。東日本大震災の時も、近所の人たちは言い伝えを信じて「末の松山」に避難し、津波は「末の松山」には到達しなかったということです。
人の心は変わるけれども、自然は変わらない、文学の永遠のテーマです。