2017年4月15日土曜日

いにしへの 奈良の都の八重桜



いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな  伊勢大輔

 いにしへの奈良の都は平城京、八重桜は通常の桜よりも花びらの数が多い桜のことです。伊勢大輔集によると、奈良から献上されためずらしい桜を受け取る役目を、大先輩の紫式部から急に任されて詠みました。

 上東門院が中宮だったころ、内裏で帝のおそば近くにいらっしゃたときに、奈良にいる僧都から八重桜が献上された。「今年、受け取る人は、最近出仕してきた方にしましょう」といって、紫式部が役目をゆずったところ、入道殿(道長)がそれをお聞きになって、「なにもせずに受け取るわけにはいかないね」とおっしゃったので   

    いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな         (伊勢大輔集)
               
お届け物でーす。こちらにサインをお願いします、ではすまないところが、さすがに平安時代ですね。
 伊勢大輔は、重代(じゅうだい)といわれる、代々つづく和歌の家、大中臣家の出身です。勅撰和歌集に入集する優れた歌人を輩出していました。たとえると、鳴り物入りで迎えた期待の大型新人の初登板で、しかも天覧試合。でも、伊勢大輔は本番に強かった。見事な変化球を美しいフォームで投げました。

 どこが変化球かといいますと、この歌にいろいろな趣向が隠されているところです。
 まず、「八」重桜が「九」重に咲いているよと、数字で遊んでいるところ。「九重」とは宮中のことです。さらに、「けふ」が「今日」と「京」の掛詞になっていて、「いにしへ」と「今日」、「奈良」と「京」がそれぞれ対比されています。
 下手な歌人が凝った歌をつくると、下手なダジャレのようで、心地よく心に入ってこないのですが、伊勢大輔の歌には技巧を感じさせない美しさがあります。加えて、和歌を考えて発表するまでのスピード。藤原清輔(八十四番)が著した、袋草紙という歌学書には、この歌を披露したとき、その場にいたすべての人が感動し、感動で宮中が揺れた(「万人感嘆し、宮中鼓動す」)とあります。デビュー戦は大成功でした。

 
 言わずもがなのことですが、伊勢大輔は〈イセ・ダイスケ〉ではありません。これではアラキ・ダイスケ、タカハシ・ダイスケ、イセ・ダイスケ。なにやらスポーツマンっぽい名前になってしまいます。たとえが野球になってしまったのはそのせい?

 平安時代の女性は、邸の中だけで生活するのであれば、大君・中の君・三の君・四の君と年齢順に呼べば、それで事足ります。でも、宮中でお勤めするとなれば、大君・中の君だらけで、誰がだれやらとなってしまいます。そこで女房名を決めるのですが、父親や夫の赴任地をそのまま女房名にするケース、たとえば、夫が相模守だったので相模(六十五番)、夫が紀伊守なので紀伊(七十二番)、父親や夫の官職名をつかうケース、たとえば、父の清原元輔(四十二番)が少納言だったので清少納言(六十二番)、などがあります。清原さんちの少納言さんの娘という意味ですね。伊勢大輔も、父親の輔親か夫の高階成順が大輔の位に就いていたことがあったのでしょう。大輔は省の次官(すけ)の位で、治部大輔・民部大輔・兵部大輔・刑部大輔・宮内大輔などがありますが、その中のどれなのかはわかっていません。大中臣家は伊勢神宮の祭主を代々つとめていました。
 伊勢大輔は、いせのたいふと読みます。

(追記)羽生結弦くんの、引退した浅田真央さんへのコメント「難しいステップ、スピン、ジャンプを入れたとしても、そこに難しさを感じさせないのが浅田さんのすばらしいところ(毎日新聞2017/04/17スポーツ面)」は、すぐれた和歌にも通じます。技巧をこらしつつ、全体は流れるように。タカハシ・ダイスケからの連想でした。



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