2017年7月27日木曜日
儀同三司母と伊周
わすれじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな
「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先変わることがないということは難しいでしょうから、「忘れないよ」とあなたがうれしい言葉をかけてくださった今日、このまま死んでしまいとうございます。
作者は道隆の北の方の貴子。伊周や定子を産みました。高内侍の名で宮中に仕えていましたが、『大鏡』によると、漢文の知識が並みの男よりも優れていて、帝の御前でおこなわれる作文会(さくもんえ:漢詩を作って披露しあう会)にも参加したといいます。『大鏡』は、彼女が零落したのは女だてらに漢学の才能がありすぎたせいだとも書き添えていますが、いつの時代にもつまらないことをいう人たちはいるものですね。
道隆の中関白家は栄えました。正暦元年(990)1月、定子が一条天皇のもとに入内、5月、道隆は出家した父兼家のあとを継いで関白に就任します。伊周もとんとん拍子に内大臣まで出世しました。
ところが、正暦4年(994)の冬ごろから道隆は「水をのみきこしめして、いみじう細らせたまへり(水ばかりお飲みになって、ひどくお痩せになる)」という状態になります。そこで伊周に関白の職を継がせたいと願いますが、果たせず、翌、長徳元年4月に亡くなります。関白の位は道隆の弟の道兼へ。当時猛威をふるっていた疫病にかかった道兼が、位について七日で亡くなったあとは、政治の実権は道長に移ります。失意の伊周は、花山院に恋人を盗られたと勘違いして、院に向けて弓を射かけ衣服の袖に矢が通ってしまうという事件に関与します。東三条院詮子や道長を呪詛させていたことなども明るみに出ました。定子が懐妊しているというのに、伊周の分別のなさが事態をどんどん悪化させます。(『栄花物語』みはてぬゆめ)
伊周と弟の隆家の配流が決まり、検非違使が邸に押し寄せます。その場面の一部を現代語訳で紹介しましょう。
宮の御前(定子)、母北の方は、伊周の袖をずっとつかんで、決してお放しにならない(略)検非違使がせかすので、伊周は仕方なく出立なさるが、松君(道綱)がひどく父を慕うので、うまくなだめて他の所につれていかせ、このありさまを見せないようにする。(略)伊周が御車を寄せてお乗りになると、母北の方はそのまま腰に抱きついて続いてお乗りになるので、「母北の方が、帥(伊周)の袖をずっとつかんで乗ろうとなさっています」と報告させたところ、「それは不都合なことだ、引き離せ」とのことだが、離れる様子は無い。せめて山﨑まで行くのだ行くのだと、ひたすらお乗りになるので、しかたがない、どうしようもなくてお車を出立させた。長徳二年四月二十四日のことだった。
(『栄花物語』浦々の別れ)
伊周と隆家が邸を出立した直後に、定子は鋏をつかって自分で髪を切り尼になります。一条天皇も東三条院詮子も心を痛め、伊周の配流先は大宰府から播磨に変わりました。その後、母北の方の病が悪化し「帥殿(伊周)今一度見たてまつりて死なん、帥殿今一度見たてまつりて死なん」と寝ても覚めても言い続けます。伊周はそれを伝え聞いて、覚悟をきめてひそかに京に戻り、家族と涙の再会をしますが、伊周が無断で上京したことが朝廷に知られてしまいます。最初の決定どおり、伊周は大宰府に流されることになり、ほどなく母北の方は亡くなります。
その後伊周は都に召喚され、地位も回復しますが、大臣の位につくことはかないませんでした。「儀同三司」は、三司(太政大臣・左大臣・右大臣)ではないけれど、儀礼的に三司と同じ扱いをうける人という意味で、伊周が自らそう名乗ったようです。
儀同三司母の晩年を知ってしまうと、原因は夫である道隆の心変わりではなかったものの、幸せの絶頂で死にたいという百人一首歌の願いが切なく心に響きます。もちろん、伊周の誕生、定子の誕生、子どもたちの成長…。幸せなことは、そのあともたくさんあったでしょうが。
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