2017年4月13日木曜日

小町髑髏説話



岡山県総社市にある備中国分寺の山桜 2017/04/8

花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに    小野小町

 百人一首九番の歌です。教科書にも入っていて、とても有名です。小野小町は、すてきな和歌をほかにもたくさん詠んでいるので、小町の和歌のお話は、また別の機会にしようと思いますが、ひとつだけ。第二句「うつりにけりな」の「うつる」、それから「うつろふ」という言葉には注意が必要です。もちろん言葉ですから少しは例外もありますが、ほとんどの場合、「うつる」「うつろふ」は、好ましい状態から好ましくない状態に向かって変化します。たとえば、人の心が「うつろふ」、これはラブラブな状態から愛情が冷めた状態に変化することです。この言葉、ちっともうれしくないわ。
 
 小野小町さんは、「春の長雨のせいで、あんなに美しかった桜の花が色あせてしまったわ。あらいけない、私の美貌も劣化したみたい」などと、自分を軽く卑下する歌を詠まなければよかったのです。この歌が有名になったせいで、小野小町の老後は美貌が見る影もなくなり、生活が困窮したという説話がいくつも生まれてしまいました。和歌そのものは、技巧を技巧と感じさせない見事な詠みっぷりで、とてもすばらしいものです。でも、今も昔も、マイナス面ばかりを強調しすぎる傾向がありますね。

 今回取り上げるのは、小町髑髏説話です。

 突然ですが、鴨長明には文学史に残る著書が3つあります。一つめは方丈記、地震ルポ、平家の福原落ルポはさすがの迫力です。二つめは発心集、人々が仏道に入るきっかけとなったお話を主に集めた説話集です。そして三つめが無名抄、名前がなくてはややこしいので長明無名抄と呼ばれることもある歌学書です。有名な歌人のエピソードや、和歌に人生を捧げすぎておかしなことになっている歌人のエピソードが、じわじわとおもしろい本です。
  無名抄にある、小野小町のエピソードを紹介しましょう。

 伊勢物語六段「芥川」は、在原業平とおぼしき男が、帝のお后にするために大切に育てられていた女性を奪って、二人で逃避行するとても美しいお話ですが、つけたしの後日談は、夢見る乙女としては(え、誰が?)、美しいお話が台無しじゃないかっと全力で怒りたくなる、ほんとうに余計なつけたしです。このラブロマンスは在原業平の回で、くわしく紹介しようと思っていますが、無名抄では、伊勢物語よりもさらに台無しな後日談から、小野小町の話題につないでいます。

~業平は、将来のお后候補を盗んだかどで、彼女の兄二人からお仕置きとして髻(もとどり)を切られてしまいました。髻とは頭の上で髪を束ねた〈ちょんまげ〉の部分ですが、髻を切られてしまっては、宮中に出仕することもできません。~

業平朝臣は「髪を生やそう」と思って、邸に引き籠もっていたが、この際だ、「あちらこちらの歌枕を見に行こう」と、和歌の勉強を口実にして、東国の方にでかけた。陸奥国にたどり着いて、かそしまというところに宿をとった夜のこと、野原の中で和歌の上の句を詠んでいる声がする。それは、

秋風の吹くにつけてもあなめあなめ

と聞こえた。不思議に思って、声をたどりながら、探したところ、人はだれもいない。ただ、死人の頭がひとつあった。翌朝、もういちど見にいくと、その髑髏(どくろ)の目の穴から薄が一本生えていた。その薄が風になびいている音が、例の歌を詠んでいるように聞こえた。不思議に思って、このあたりに住んでいる人にそれを尋ねた。ある人が語るには、「小野小町が、京からこの国に下ってきて、この場所で命を終えたんですよ。で、その頭がこれです」。
  業平は、小町が哀れで悲しく思ったので、涙を拭いながら下の句をつけた。


小野とはいはじ薄生ひけり

その野の名が玉造だと土地の男は言ったということです。
 玉造小町と小野小町は同一人物か、別人かと、人々が不審に思って言い争っていたときに、その場にいた人が語った話です。(無名抄)

  「玉造小町」とは、『玉造小町子壮衰書』という本に登場する人物です。『玉造小町子壮衰書』は平安時代の後期には書かれていただろうと言われています。本の中で、老いさらばえた老女が、若い頃は美貌を誇って贅沢に暮らしていたが、親兄弟も死んでしまって、今では惨めな暮らしをしていると語ります。
 まさか、あの小野小町が、そんな惨めな老後をむかえる訳がない、玉造小町と小野小町は別人だよと考える人もいます。その一方で、いやいやこれはきっと小野小町のことにちがいないと考える人もいたようです。
 無名抄を読むと、当時の、つまり平安時代の終わりから鎌倉時代の初めごろの人たちが、けっこう真剣に、小野小町について語り合っていたことがわかります。長明は、小野小町の老後は悲惨だった説に一票入れたいのかな。どう思われますか。

小野小町の話は、まだまだあります。

2017/04/13

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