2017年7月26日水曜日

わすれじの行く末までは 儀同三司母



わすれじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな  儀同三司母
「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先変わることがないということは難しいでしょうから、「忘れないよ」とあなたがうれしい言葉をかけてくださった今日、このまま死んでしまいとうございます。

 作者名の儀同三司母は「ぎどうさんしのはは」と読みます。「儀同三司」は、三司(太政大臣・左大臣・右大臣)ではないけれど、儀礼的に三司と同じ扱いをうける人という意味で、藤原伊周のことです。ということは儀同三司母は、清少納言がお仕えした、中宮定子の母でもあります。高階氏の出身で、宮中では高内侍(こうのないし)と呼ばれていました。そこで道隆に見初められたのでしょう。

 「わすれじの」の歌は、新古今集・恋三の巻頭歌です。(百人一首の作者名は、勅撰集の作者名をほぼそのまま採用しています)

   中関白かよひそめ侍りけるころ    儀同三司母
わすれじのゆくすゑまではかたければけふをかぎりの命ともがな

 「中関白」は道隆のこと。「かよひそめ侍りけるころ」とは、「そめ」は書き初めの「初め」と同じですから、結婚したばかりのころという意味。この歌からは、幸せなまま死にたいと、喜びと不安に揺れ動く心が伝わってきます。

 さて、「思いわびさても命は 道因法師」のページでも、「恋死に」という表現を紹介しましたが、そのときに引いた古今集の紀友則の歌は次のようなものでした。

いのちやはなにぞはつゆのあだ物をあふにしかへばをしからなくに
命がなんだっていうんだ、露のようにはかないものなのだから、あなたに逢えるのなら捨てても惜しくはないのになあ

また、新古今集の巻三では、「わすれじの」の歌から二首おいて、次のような藤原頼忠(廉義公)の歌があります。

   人の許にまかりそめて、あしたにつかはしける  廉義公
きのふまであふにしかへばとおもひしをけふは命のをしくもあるかな
昨日までは、あなたに逢えるのなら捨てても惜しくはないと思っていたけど、あなたと結ばれた今日は、命が惜しくなってしまったよ

古今集の友則の歌と同じ「あふにしかへば」という特徴のある語句を使っていますが、これは意図的なもので、友則の歌をベースにして詠んでいることを示すための技法です。(廉義公の歌が詠まれたのは平安時代中期ごろで、まだ本歌取の技法は完成していませんが、本歌取の“卵”的技法といえそうです)

廉義公の歌は百人一首の儀同三司母の歌とは逆に、いつまでも今の幸せな状態でいたいから命が惜しくなったと詠んでいます。「男歌」と「女歌」、厳密には代作もあるので、男の立場で詠んだ歌と女の立場で詠んだ歌ですが、両者の違いがよく顕れていると思いませんか。 

 百人一首では他にも、
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな    藤原義孝(五十番)
あなたに逢うためなら捨てても惜しくないと思っていた命まで、あなたと結ばれたことで、長く生きたいと思うようになったんだ

もてもての貴公子義孝が、同じように詠んでいます。お気楽で調子のよい男子たちですね。

 儀同三司母と息子の伊周、孫の道雅(五十三番)の波瀾に富む人生については、また別の機会に。


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儀同三司母と伊周

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