百人一首は、古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集と、新勅撰集という、9つの勅撰和歌集の中から、100人の歌人と歌人が詠んだ歌を1首ずつ選んだものです。天智天皇から順徳院までゆるやかに年代順に並べられています。天智天皇や持統天皇、柿本人麻呂、大伴家持などは万葉集の時代、つまり奈良時代の人ですが、万葉集ではなく、上に記した9つの勅撰集に採られた歌が選ばれています。(平安時代の万葉集にはイロイロアッテナ、それはまた別の機会に)
定家の百人一首の編集作業を追体験してみましょう。第2次世界大戦が終わった1945年から現在までに、レコードやCDの形で発売された楽曲の中から、100人の歌手と歌手が歌った曲を1曲ずつ選ぶとして、ちょっと待って、100人は多いので二十人一曲としましょうか。まずは20人の中に誰を選ぶか、それからどの曲を選ぶか。山口百恵は選ばれるかな。一曲だけならどの曲にしようか・・・悩みますね。センセーショナルだったのは「あなたがのぞむなら わたし何をされてもいいわ」と歌った「青い果実」でしょうか。デビュー2作目の曲です(今調べたら生まれた日が私と3日しか違わない。知らなんだ)。外国の歌手を選ぶ人もいるでしょうし、20人の演奏家と1曲でもかまいません。選択の基準はいろいろですが、1人1曲だけとなると、これは悩みます。定家もきっとあれこれ悩んで、楽しかっただろうな。
この歌人が選ばれないのはなぜだという批判や、この歌のほうがいいのではないかという批判がでてくるのは、当然のことで、在原業平の百人一首歌についても、ほかにもっといい歌があるのではないかという声があがっています。
たとえば藤原公任(五十五番)が『前十五番歌合』で選んだ一首はこの歌。
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
いっそのこと、この世の中に桜の木が一本もなかったら、桜のことばかり考えてしまうこともなくて、のどかな気分で春を楽しめただろうになぁ
それでも桜が好き、という屈折した気持ちがこめられています。
百人一首の業平の歌は、
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは
大昔の神代にも聞いたことがないよ。竜田川を真っ赤なくくり染めにするとは
「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞です。荒ぶる神といったイメージでしょうか。「からくれない」は深紅。紅葉が竜田川に浮かんでいます。この歌は次のような詞書とともに古今集に採られています。
二条の后の、春宮の御息所と申しける時に、
御屏風に竜田川にもみぢながれたるかたを
かけりけるを題にてよめる
二条后が、春宮の御息所(皇太子の子を産んだ人)といわれていた時に、御屏風に竜田川に紅葉が流れている情景が描かれているのを題にして詠んだ
二条后が人々を集めて和歌の会をひらいた時に詠んだ歌です。主催者は二条后。古文通はそれを知って、二条后と業平ですかと意味深な反応。
二条后は藤原高子(たかいこ)。清和天皇の后で、陽成院(十三番)の母です。このころは藤原氏が権力を拡大していった時期で、一族の娘は、天皇の后となって、次の天皇を産むのが使命でした。それなのに、一族の期待をになった、将来のお后候補と業平が駆け落ちしたという噂があります。ゴシップ好きにはたまりませんな。百人一首の業平の歌に、定家はわざと二条后がらみの歌を選んだと考えてもいいんじゃない、ということでございます。(長くなるので、つづく)
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