2017年5月4日木曜日
立ち別れいなばの山の
立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む 中納言行平
在原行平、在原業平(十七番)の兄弟は、平城天皇の孫、阿保親王の子です。皇族には姓はつきませんが、「在原」という姓をもらって臣下になりました。有名な例では、物語の中の設定ではありますが、桐壺帝の子の光源氏が、「源」姓をもらって臣下になったのと同じです。この兄弟、弟の業平くんは、伊勢物語の主人公のモデルとされ、モテ伝説が量産されています。江戸時代でも「今業平」(現代版業平)がイケメン・モテ男の代名詞となっていました。しかし、「今業平」はもはや死語かも。残念。この弟と比べると、兄の行平くんには、実直なイメージがあります。兄弟で比べられて、行平は得をしているかもしれないな。
さて、「立ち別れ」の歌が詠まれたのは855年、因幡国(いなばのくに:現在の鳥取県)の国司となって赴任した時のことです。行平は38歳でした。
立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む
京を出立してあなたと別れて因幡国に行ってしまっても、因幡の山の峰に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたなら、すぐに帰って来るよ
掛詞が2つ使われています。第四句の「松」と「待つ」は定番の掛詞ですが、もうひとつは第二句の「いなば」。これから赴任する土地に敬意を表して、その地名「因幡」と、「往なば」を掛けています。古語辞典はほとんどの見出し語に漢字をあてていますが、それは、古語に適切な漢字をあてることができさえすれば、現代語の意味と直接つながるからです。「いなば」にあてた漢字の「往」は、たとえば箱根駅伝の往路・復路の「往」です。往路は東京から箱根に行き、復路は箱根から東京に帰って来ますね。平安時代は常に京が起点ですから、「立ち別れ」の歌の「往なば」は、京から因幡国に行くことです。そして、第五句「帰り来む」は、いわゆる復路で、因幡国から京に帰って来ることです。
行平の「立ち別れ」の歌は、後の時代の人々に愛され、謡曲「松風」のモチーフになっています。これは行平と松風・村雨という姉妹のお話です。
いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来ん
それは因幡の 遠山松
これは懐かし 君ここに すまの浦わの まつのゆきひら
立ち帰り来ば われもこかげに いざ立ち寄りて
そなれまつの なつかしや
いなばの山の峰に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたら、すぐに帰って来ようよ
それはここからは遠い 因幡国の山の松
ここにあるのは、懐かしい行平の君が、ここ須磨にお住まいになっていた、須磨の浦に生えている松、
行平の君が帰って来られたら わたしも松の木陰に さあ立ち寄って
慣れ親しんだ行平の君 ああ、なつかしいこと
須磨(現在の神戸市)で暮らしていた行平は、松風と村雨という姉妹と愛し合いますが、「立ち別れ」の歌を詠んで都に帰り、再び戻っては来ませんでした。行平を恋しく思う松風は、村雨が止めるのも聞かずに、松を行平と見て近づき、行平の形見の装束を身につけて舞います。
行平が須磨で暮らしたことがあるのは、事実のようです。
文徳天皇の御代に、ある事件に巻き込ま
れたため、摂津国の須磨というところに
引き籠もっていた時に、宮中にいる人に
おくりました
わくらばにとふ人あらばすまの浦にもしほたれつつわぶとこたへよ (古今集)
もし、なにかのついでに私のゆくえを尋ねる人がいれば、須磨の浦で袖が潮水にぬれるように、袖を涙でぬらして、つらい暮らしをしていると答えておくれ。
なるほど涙は目から出る潮水ですね。この歌は、源氏物語「須磨」巻の構想に使われて、有名になりました。
「立ち別れ」の歌の説明で、京から因幡国に行き、因幡国から京に帰る、としつこく述べましたが、謡曲「松風」では、往路復路が逆になっていて、須磨から京都へ行き、京都から須磨に帰って来ることになります。因幡国はただ「往なば」という言葉のつながりにのみ使われています。
…と説明すると、じゃあ謡曲「高砂」は間違いですねと考える人がいるかもしれませんが、それは私の本意ではありません。行平を待ち続ける、松風・村雨姉妹の悲嘆は心にひびきます。思うに文学は、事実か、事実ではないか、また、正しいか、正しくないか、を超越した存在です。先行する文学作品を内部に取り込み、そこから新しい文学作品を生み出していく。平安時代も鎌倉時代も室町時代も江戸時代も、古典は人々の心の内に取り込まれて、豊かなものを新たに生み出してきました。それに対して現代は、古典がどんどんやせ細っているように感じます。もっと自由に、古典を楽しんでほしいな。
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