光琳かるたをごらんになったことはありますか。上の句を書いた読み札には歌人の絵、下の句を書いた取り札には和歌に詠まれた題材などの絵が書かれています。日本国語大辞典には、江戸時代、文政(1818~30)のころに京都祇園あたりで、いわゆる「ぶさいく」な顔を「光琳」たちと言ったとあります。そこで、百人一首に親しむため、毎年授業のなかで光琳かるたに描かれた歌人の中から「変顔」ベスト3を投票で選んでいるのですが、毎年上位に選ばれる歌人が何人かいて、道因法師もその中の一人です。
京都大石天狗堂ホームページ 光琳かるた 道因法師
道因法師の百人一首歌は恋心を切々と詠んでいます。
思いわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり
思いどおりにならなくてつらく悲しい、それでも命は尽きないのに、つらさに堪えられなくて流れるのは涙なのだなぁ
和歌には「恋死に」という言葉があって、伝統的な表現です。まず、万葉集から例をひとつ、
ますらをのさとき心もいまは無し恋の奴にわれは死ぬべし
知性もなんもかんも吹っ飛んで、自分の恋心にふりまわされて、きっと死んでしまうよ、ぼくは、と泣き言をいってますね。藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦」の回でも、ふだんは勇ましい「ますらを」が、恋をして、もじもじしている万葉歌を紹介しましたが、そんなものかしら。
古今集・恋二の巻末の三首も、なにかストーリー仕立てのようです。
今ははや恋ひ死なましをあひ見むとたのめし事ぞいのちなりける(清原深養父)
今となっては、さっさと恋のために死んでしまいたいのだけど、あなたに逢えるかもと期待してしまうことが、命の綱なのですよ
たのめつつあはで年ふるいつはりにこりぬ心を人はしらなむ(凡河内躬恒)
なんども期待させられては、逢えないまま年月をすごす、嘘をいわれても懲りずに期待してしまう心を、あの人にわかってほしいよ
いのちやはなにぞはつゆのあだ物をあふにしかへばをしからなくに(紀友則)
命がなんだっていうんだ、露のようにはかないものなのだから、あなたに逢えるのなら捨てても惜しくはないのになあ
男3人でくだを巻いているような雰囲気がありますね。
道因は千載集初出の歌人です。1090年(寛治四)に生まれ、千載集が完成する少し前に、九十歳ぐらいで亡くなりました。ということは、金葉集(1124年ごろ成立)に入集せず、詞花集(1151年ごろ成立)にも入集せず、千載集でようやく勅撰歌人になりました。鴨長明(1155~1216)の歌学書『無名抄』には次のような話が記されています。
九十歳ぐらいになって、耳なども聞こえにくくなったのでしょうか、歌会の時はことさらに講師(こうじ 和歌を詠み上げて披露する人)の席のすぐ近くに行って、そばにぴったりと寄り添って座り、ひどく年老いた姿で耳をかたむけながら、一心に聞いている様子など、生半可な集中力ではありませんでした。
千載集が撰ばれましたのは、道因入道が亡くなった後のことです。たとえ亡くなったあとでも、あれほど歌道に熱心な人だったからといって、特別に十八首を集にお入れになったところ、撰者の夢の中に現れて、涙を流しながら感謝の言葉を述べたので、とても感激して、さらに二首を加えて、二十首になさったということです。それは当然のことだと思いますよ。
私のお気に入りの「すきもの」シリーズ、第2回めは道因法師でした。
登録:
投稿 (Atom)
儀同三司母と伊周
わすれじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな 「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先変わることがないということは難しいでしょうから、「忘れないよ」とあなたがうれしい言葉をかけてくださった今日、このまま死んでしまいとうございます。 作者は道隆の北...

-
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり 能因法師 能因は「すきもの」といわれています。え、すきもの?なにやらモヤモヤと紫やピンクの雲がわいてくる気配が……。ちがいます、ちがいます、いまあなたが考えたような意味ではありません(考えていない?そりゃ失...
-
藤原高子(のちの二条后)と業平が駆け落ちをしたという話は「伊勢物語」にあります。 「伊勢物語」は現在ではあまり読まれていませんが、江戸時代までは「源氏物語」と同じぐらい人気がありました。たくさんの本が挿絵付で出版されていますし、物語の場面を描いた絵もたくさん残っています。 ...
-
岡山県総社市にある備中国分寺の山桜 2017/04/8 花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町 百人一首九番の歌です。教科書にも入っていて、とても有名です。小野小町は、すてきな和歌をほかにもたくさん詠んでいるので、小町の...